ダメ太郎スマイル、深海日記

クワインを読むんだ

期待するなら金をくれ

某学会のシンポジウムで、哲学者でない登壇者が紋切り型の哲学への期待をかなり挑発的に述べていた。これ自体にはうんざりしたけれども、それ以上に、そうした期待に答えられるようなポストを用意してないくせに盗人猛々しいぞとイライラしてしまった。その人は、某大学でテニュアを持っていたけど、持ってない時分に、「あなたの研究は主観性とか身体性という哲学的な主題への寄与が期待できるから工学という枠にとどまってないで、哲学勉強して、哲学研究をしてくれ、ただし、哲学専攻にはあなた向きポストを用意しない」と言われて、はたして哲学やるんだろうか。現行の哲学専攻では、哲学だけに教育のリソースを割かず、哲学の寄与が期待できる他分野の教育が専門科目として開講されていて、しかも、そうした教育を行えるひと向きポストがある大学はほぼない状態で(これが望ましいかはおいておくとする)、他分野からの紋切り型の期待に応答しきれるとは思えないし、この責任が哲学者だけにあるわけではないと言えるだろう。構造的な問題もあるのだろう。可能性として、外れ値のスーパーマンが一時的にすさまじい貢献をすることもあるかもしれないけど、それで解決する訳じゃない。ただ、楽観的にみれば、金を集めてポストを作ってひとをよべばいずれ解決できそうな問題ではあるので、対話なんていいから、まずはそのための金をくれという気持ちが強い。あと、日本における法哲学のポストの変遷とかしらべたら参考になりそう。
当該の登壇者にもいろいろ言いたいことはあったけども、哲学者の登壇者が「完璧なカントAIが生まれたら哲学者のやることがなくなる」という旨を発言していたが、カント的なフレームワークのもとに、特定の主題について議論する主体がひとり増えるだけで、カントその人が現代に復活あるいは時間移動したとしても、哲学研究は終わらないだろうと反論しておきたい。哲学は神学ではないし、哲学者は預言者ではないのであーるといつかちゃんと言いたい。
【追記】
・いろいろ文句はあるけどふつうに内容はおもしろかった
・文献研究を神学になぞらえるのは、まちがっているばかりか、神学へのリスペクトを端的に欠いているのでやめろ
・謎なのは、当該の登壇者はメルロ=ポンティとかマッハとかに言及したり、哲学者の年表をスライドに作ってて、それなりに勉強してるっぽい形跡はあるし、それがなんらかの役にたってるっぽいのに、哲学者は哲学の砦にこもってるみたいな言い方していたこと。挑発してもっと多くの哲学者とやり取りしたかったのかもしれないけれど、ふつうにコミュニケーションしませんか