ダメ太郎スマイル、深海日記

クワインを読むんだ

哲学史であそぼう

哲学を勉強するうえで、なんらかの主題について議論しているとしよう。ゼミでもいいし、鴨川でヌートリアとしていてもいい。あるひとの議論について、「その考えはもう検討した。だから、メリットは…で、デメリットは…だ。……」と返答できることは、クールだと思えないだろうか。すくなくとも、改めて吟味して長所短所を検討しなくてすむので、経済的といえる。しかしながら、こうした返答の下地にするために、あらゆる主題について、あらゆる路線で、あらかじめ検討をしておくことは不可能に近い。だからといって、先回りできないと考えてしまうならば、あなたはすでにつねに間違えている。哲学史の知識が役に立つのであ~る。
わたしたちが思い付く問題を格納する大きな問いであったり、類似点の多い問いがすでに哲学史に含まれてるといってよい。そうでなければ、わたしたちは、新規性のある問いを毎日毎日どうでもいい会話のなかで、吟味することなくドブにすててることになる。(もしかしたらそうかもしんない。)目の前で生起した問いが既知の問いの実例だったら、特殊な条件が干渉しないかぎりで、既知の答えにそって応答ができるし、それに類似した問いならば、そこから拡延して有望な応答が可能になる。簡単に言ったら、こうした順列は考えやすいし、応答に失敗したとしても、既知のものと差異によって、当該の問題への理解が深まるというおまけもあるだろう。ただし、こうした素地を作るために哲学史を学ぼうとしても、主題ごとにまとめられているわけではないので、効率的に学べるわけではない。でも、あらゆる主題について、あらゆる路線で、あらかじめ検討をしておくよりかはましでしょ?
【追記】
・哲学概論みたいなかんじの本だと主題にフォーカスしてたものがあったと思うが、つかう哲学的な道具の歴史的発展も追うと思うので、哲学史的な記述を読む羽目にはなった気がする。歴史的に道具の発展を追うことは、どんな主題でも、理解に寄与するのでおすすめではある。
・推論はひとりでするものではないので、議論の最中に「あー、それデカルト先生いってたわー」という発言が出てきたら「おっ、拡延チャンス」くらいに思うとよい。そのときに、哲学史的にまちがってると指摘を受けたら、チャリタブルに解釈しろよと思うのではなくて、事実を取り違えていて、前提がぐらついてるということなので、ナイスパスと声援を送るとよい。
・『概説 西洋哲学史』(峰島 編著)は、半分を現代に割いてる点では、めずらしいかもしれない
分析哲学という哲学は仮象にすぎず、来歴をわすれさっただけだし、リンガフランカというよりも、いわゆるクレオールっぽいかんじだとよ思ってるけども、ぼくが期待する哲学概論みたいな様相を一部の教科書が主題ごとにでも果たせているように見える。なんたら主義的なのやーつをなんたらさん言うてなくないかみたいのあるけども。