ダメ太郎スマイル、深海日記

クワインを読むんだ

所感:タバコ問題

わたしは倫理学にあまり明るくない。1948年とか、1951年、1953年、1960年のクワインほどにはわからないし、政策決定についてはいっそうのことよくわからないけれども、わたし自身よくタバコを吸うので、現状での飲食店での喫煙とか非喫煙者(とくに紙タバコの臭いが嫌いなひと)同伴での喫煙にかんして考えをまとめておきたい。
飲食店等での無制限な喫煙は、他者危害原則に抵触すると倫理学の題材としてよく議論されいると思う。これにかんしては、あまり異論はいし、他人とのかかわりが問題となっている。個人としてだけの問題としては、愚行権による正当化などがあげられるが、田上先生などはうまくいかないと著書で論じているし、グッディンはインフォームドコンセントの観点から正当化できないのではないかと論じている。こうした議論がただしいならば(もちろん専門家の意見なので圧倒的に論難できないし、わたしたちのクソみたいな直観はあてにできない)、喫煙者は、個人の行為として正当化できないものの、他者危害に抵触しない範囲での喫煙が可能かと問う必要がある。擬似的な、あるいは短期的な快楽のために実際の、あるいは長期的な快楽を犠牲にすることが社会的に許容されるか検討する路線だ。
個人的には、無制限な喫煙は許容されなくても、制限つきならばその可能性があるのではないかと思いたい。たとえば、喫煙可能な店舗だけではなく、禁煙の店舗もそれらと同等以上の割合で選択肢にいれられるとか、労働者を成人にかぎり合意をとりつける(すべての危害がある職場に合意を取り付けてもつけないとするならば軍人とかの危険度のたかい職につくこと自体正当化できないことになってしまう。現行の福島で行われている除染作業とかありえない)など。現時点だと、こういう状態は実現されていないので、喫煙席や喫煙可能店でも他人からやめてほしいなど頼まれたらすくなくともその場では吸わないなどの配慮は必要かもしれない。

追記
JAISTかなんかで全面禁煙になったというニュースがあったけど、大学とかは飲食店とちがってほかのところに行くとか、生活のなかでべつの禁煙してる大学にうつるとかかなりしにくいので、基本的に禁煙にしてしまったほうがいいとは思う。すくなくとも、建物やキャンパスの出入り口に設置してはならないのではないか。
・田上先生は、喫煙を愚行権として捉えることで、権利と見なせるか考察していた。もちろん、結果は芳しくない。喫煙者はわりとまじめに喫煙が権利かどうか考えるべき時機を得ている