ダメ太郎スマイル、深海日記

クワインを読むんだ

分析と線引き

分析哲学の特徴について考えていた。ぼくは、基本的に、分析哲学一般が持つ特徴を措定すること自体に懐疑的だし、そうした企みが成功すると思っていないので、精確には、多くのいわゆる分析哲学者の著述にある傾向と言うべきかもしれない。
ひとつめに、ある主題について、適切な議論を構成するといってもいいだろう。どうなふうに組み上げられてるかは、T. ネーゲルにでも聞いとけばいいだろう。
ふたつめに、こうした目的をなぜもっているのか。歴史的には、ラッセルを墓から叩き出すか、ドクターに頼んでターディスに乗せてもらい、ラッセルに会いに行けばヒントくらいはもらえるはずだ。ゼリーの塊は粉砕したほうが扱いやすいし、そんなもんつくるなというはなしだ。特定の立場を採用してなければできない議論と、そうでない中立的な議論がある。それらの線引き、その画定作業は領域にも波及するかもしれない。
こうした観点からなら、分析哲学者の傾向をそれなりに、考えられのではないかな。これくらいしか、クワイン分析哲学者であり、先行する分析哲学者の影響下にあり、後続する分析哲学者に影響したとのべる意義があまりない。