ダメ太郎スマイル、深海日記

クワインを読むんだ

制服、保守性、安定性

ぼくのいまの仕事では男女ともに制服を支給されていて、しかも、その制服はクリーニングに会社単位でだすことができる。もちろん、自分でスーツを用意して、自分でクリーニングに出さなければならないのに比べれば、かなり経済的に安くあがる。とはいえ、ありがたい制度だと、自信をもって言い切れない。たとえば、「ふつう」の男女しか想定されてないだとか、女性用は「受付嬢」を意識したデザインになっているだとか…… このように、制度やコンセプトがかなり保守的な考え方にもとづいている。これは、いまのご時世あんまりよろしくない。
この理由はなんなんだろうか。まず、ぼくの業界は非常に多くの場面で保守的な姿勢を貫いている。制服も、この姿勢の延長にあるとはいえるだろう。そもそも、この保守性は、うちの業界のエコシステムが数十年単位で安定していて、かつ、各種法令によって厳しく制限されているため、イノベーションとやらがまったく起きないことに起因していそう。そのために、全体的にのろまで、自分たちの立場を吟味して変革していく機会にあまりめぐまれてない。銀行とかも、制服が似たようなかんじで、エコシステムも安定してるじゃんね。ここらへんは変えさせたいし、ぼくがいる以上、吟味、批判、検討されることには慣れてほしいなぁ。正直、各種法令の安定性にもつっこみどころがたくさんある。

修士をふりかえりたい……(未完)

修士の二年間をふりかえってみたいと思う。言える範囲で悪いことを書いて、さいごに、よかった点を書こうとおもう。

【悪い点】

・全体ゼミで発表しても、まともなコメントはひとつもかえってこない
:出身大学の教員は専門がかたよっているので、ぼくのはなしについてこない(というか、そうするつもりもないっぽい)。ましなほうでも、「ふたつのドグマ」はカント型の哲学に終止符をうったのだと仰られていたが、tdym本を読んだもののそれ以上は確実にする気もないししていないっぽい。つーか、クワインにとって、カントは、ふたつのドグマ以前に死んだことになっている。

・大学院生が少ない
:これはふたつの意味合いで、大学院生が少ない。出身大学の哲学専攻は、M1からD6まであわせて10人で(アクティブなひとはもうすこし少ない)、専門もかたよっていた。10人のなか、英語圏の哲学がメインなのは、ぼくを合わせてふたりで、それ以外は18世紀くらいの…… というかんじなので、勉強会はおろか、関心のあるテーマについてまともに立ち話もくそもない。

・なんか共有されるべき知識とか規範とかが一切明示されない
:教員からはこれくらいのことは知っていて当然とか、これくらいのスキルは持っていて当然という「お叱り」をめちゃめちゃうけるし、それができないお前に人権はないみたい接し方されるが、どこでなにを獲得すればよいのか提示されたことがまったくない(コプルストンを読めと言われて読んだ結果、お前らが読んでないのではみたいになった)
:一番あたまにきたのは、レジュメをホッチキスでとめる箇所にかんして叱責されたうえに、こういういい加減なことしかできないとか言われたこと。これについては、いつか覚えてろよと思った。(ぼくは左利きだしタバコ吸うからお前たちとはページをめくる指がちがうのだ)

・指導教員と思ってたよりもそりがあわなかった
:そもそも、専門が近く論文の指導をかなり丁寧にやるぞというあれだったが、入ってからはかなりしんどかった

【いい点】

・図書館に買ってほしい本頼むと断られない

・事務が日本語を話せて、なにか問題があると電話をかけてきて確認してくれる
:電話をかけてきてくれるのはマジでありがたい


【追記】
・この記事も、何度も書き直していくので、いまはこんなかんじにしておく。

・つぎのポイントについては会社のほうが一億倍マシだった。「なんか共有されるべき知識とか規範とかが一切明示されない」。というのも、これらが身に付いてることが給与に関係してるので、明示したうえで評価基準をだしているからなのだ! もちろん、その評価基準がブラックボックスであることはありえる

・教員・院生間での教員よりも、ふつうの会社の上司のほうがコンプライアンス意識たかいのではとおもうようになった。大学の窓口よりも、会社の窓口のほうが千倍くらいレスポンスがはやく手続きとかが明文化された通りにすすむ

働きはじめて

働きはじめて一ヶ月がたつ。じぶんの会社については、見込み違いだったなとおもう箇所と見込んだ通りだなとおもう箇所がすこしずつ見えてきた。そこらへんについてすこし書いていこう。
まず、見込みちがいだった点だ。

・給与
・住宅手当て
・キャリア(とくに、ぼくがどいうスキルのある人物かについて)

給与については、異動ありかどうかで差額があったがさいしょに求人に記載されている給与から変わってしまった。これはぼくのミス。つぎに、住宅手当てであるが、入社の数日前に期限つきである旨が言い渡された。ぼくの会社はいま組織を大幅に変えている最中なので、住宅手当てもすこしまえにできたばかりであって、さらにその手当ての制度を変えるらしい。けれども、入社の判断基準にこの手当てもあったので、かなりモチベーションがさがっている。さいごの、キャリアはかなり重要だ。採用担当とのはなしでは、かれ自身はかなりぼくを買ってくれていて(そういう風にわざとはなしてたのもかなりある)、さいしょは現場ですこし経験積んでもらってーみたいなはなしだったが、いざ入社してみたらぼくに期待されているのは現場におけるスーパーソルジャーとしての役割だった。院卒の給与設定もないのに、キャリアパスも高卒とおなじにされたのではたまったものではないし、ぼくをよく知るひとからすれば、ギャグ以外のなにものでもないだろう。ここらへんで完全にモチベーションは死んだ。なので、研修中にしてたようなことはたぶんもう積極的にはしない。上司からは組織を変えていて柔軟な対応ができるというお話もあったが、このようにきちんと組織として硬直していて安定している面があるし、そのいっぽうで、組織として頑健ではない面によってぼくのこころを削いできている。

ぼくのモチベーションにかんするはなしがつづいたところで、見込み通りだったことは、

・時間

だ。この一点につきる。入社してから、シフトを組んだり休日の調整をしたりいろいろあったが、確実に、1日のなかで勉強する時間をつくれているし、そのための援助をしてもらっている。各々の仕事にかんしてプラスαでなにかやるモチベーションがなくても、会社を辞めたいとはまだおもっていないのは、ここらへんの事情がある。

たぶん、この記事に書いたことはまた半年もすればかわるだろうが、そのときにあらためて記事にして反省したい。


【追記】
・ぼくはかなり思い込みがはげしいたちなので、そこらへんはさしひいてこの記事を読んでほしい

・コロナの関係で死んだものが多いのでマジコロナ許すまじ

「ふたつのドグマ」はカントを殺せたか

ぼくは、元来、恨みがましく根にもつ性格なので、某フッセリアンの「「ふたつのドグマ」は、カント的な哲学に終止符をうった記念碑的な論文であり、それを大学院生が知らないのは危機的」という講評にかんして文句を数年越しにつけていきたい。
カント的な哲学がなんなのかはおいといて、まずは、カントそのひとについてのクワインの言及はどうか見ていこう。クワインは、カントの「分析/綜合」の区分にかんする規定に、比喩的だとして、検討すらしていない。クワインからすれば、主語の概念に述語が含まれているってどういうことやねん、どう確かめんねや、形式的なしるしは出せんのかいくらいのきもちっぽい。なので、カントに直接ダメ出しして、カントの持つ考えを引き継ぐ考えを「ふたつのドグマ」で退けているとは言いがたい。
つぎに、カント的な真理の種類分け「アプリオリに分析的/アプリオリに綜合的/アポステリオリに綜合的」を「ふたつのドグマ」で退けられるか思い返していこう。当該論文での目的は、「アプリオリ/アポステリオリ」と「分析/綜合」の外延が一致して、アプリオリに分析的な真理とアポステリオリに綜合的真理のあいだに厳格な境界がひけるときに、それを前提にして立論される還元主義を論難することにある。だから、直接の論敵は、「経験主義のふたつのドグマ」というように、この類型の還元主義を採用する経験主義者(カルナップなど)であって、カントではない。そもそも、クワインは、アプリオリに綜合的な真理にかんして一度も言及していないし、28歳でやったカルナップ講義中に、クワイン以前の哲学者が否定してるから考慮しなくてええやろみたいなことを言っている。なので、51年から53年当時、まだカルナップら論理経験主義者の名声が翳りきってない頃合いに、カント的な哲学へ死亡宣告がおこなわれていても、クワイン「ふたつのドグマ」のおかげとまでは言えない(すでに死んでる)。現在でも、数多くいるカンティアンからすれば、なんで検討せんねや、で終わるはなしだと思われる。はなしはそれるけれども、sec. 4の終わりの方を読むかぎり、クワインは、分析的ということばといっしょになってないかぎり、アプリオリ性にかんしてとくに批判を加えていない。もちろん、クワインにとって、アプリオリ性単独で、なんの意味があるのかという問題にも触れてはいない。
はなしを戻して、「ふたつのドグマ」がカント的な哲学に終止符をうってくれるかどうかを考える。哲学史的に、カント以降のドイツ語圏の主要な哲学的潮流へ深刻な損害を与えたという意味合いだという可能性を考慮してみよう。カントからドイツ観念論、新カント学派、そして論理実証主義の系列(とくにカルナップ)はつなげそうではある。51年から53年当時でも、アメリカでは「ふたつのドグマ」やクワインにかんするあれこれは多かったと思うけれども、イギリスではそこまで多くないというか、ふたつのドグマ自体については、ストローソンとグライスによる56年の論文くらいしかめぼしいものもないじゃないか(ストローソンの「意味の限界」は66年なんすね… 知らなかった)。だから、論理実証主義者でアメリカに来ているものが有名な大学に所属してることを差し引いても、哲学史的な主張として、カント的な哲学が終止符をうたれたとは手放しでは言えなさそう。(ナチスが致命傷をあたえ、共産党が看取ったくらいのほうが正確だろう。クワインはせいぜい911にコールしたくらいかな)。アメリカでは死んだんねやと言い返されても、竹市編の「超越論的哲学と分析哲学」に所収されている論文をみればわかるように、終止符がうたれたにしては議論されてますね、とは思う。
かのひとの読書遍歴を邪推すれば、戸田山本かなんかを真に受けたんじゃないかと思うが、それでも、煽るならもっとうまくやってくれ。ちゃんとコミュニケーションとろうよ。せめて、「ふたつのドグマ」がカントを直接に相手取ってはないとは前置きをいれてほしいし、そもそも原題は'Main Trends in Recent Philosophy: Two Dogmas of Empiricism'なんだぞ! カントのどこがrecent philosophyなんだ……

【追記】
・「ふたつのドグマ」のなかにカントや超越論的哲学などのいわゆるカント的な哲学と相容れない主張はたくさんあるが、どれも、かれらの考えを崩すことを念頭に構成されていない。たとえば、アプリオリに綜合的な真理とか。そもそも、そういう目的ではないからあたまりまえである
・戸田山本がひっこしの関係でいま手元にないけれど、にたはなしがあったとおもう。ENのほうか、TDEかはわすれたが
クワイン現象学者に言及してるのを見た覚えがないので、知ってるひとがいたら教えて下さい
・つぎの文がミスリーディングなので注記を加えたい。

当該論文での目的は、「アプリオリ/アポステリオリ」と「分析/綜合」の外延が一致して、アプリオリに分析的な真理とアポステリオリに綜合的真理のあいだに厳格な境界がひけるときに、それを前提にして立論される還元主義を論難することにある

まず、ふたつの種類の真理のあいだの厳格な区分をこわして、つぎに、その区分を前提にする還元主義を退けるというながれで、「ふたつのドグマ」の冒頭でもそういっているので、この文はまちがいとは言いきれなくてもはてしなく親切ではない。
つぎに、「アプリオリ/アポステリオリ」と「分析的/綜合的」の外延が一致しているだけでなく、「必然的/偶然的」の外延も一致している。この3つの区分けがぴったり重なっているのが論理経験主義者の特徴で、フレーゲまで遡れるっぽい(そういう記述みるけど、フレーゲをまともに読んでないので典拠は知らないし覚えてない…)。

就活について

しょうじき、修士の二年間、とくに、後半の一年間についてさきに書くべきなんだろうけど、ちょっとまだつらいのであとまわしにして、修了してからはじめた就活について書いてしまうことにする。

就活の条件として、
・博士課程後期に進学するときに時間などの融通がきく(残業なども含めて)
・転勤がない
のふたつを軸にして、会社を探した。

使ったのは、おもにマイナビリクナビ、Re就活で、たまにIndeedとかでも調べた。

さいしょは、大学、専門学校の職員は、さすがに高等学位取得に前向きだろうとおもって応募したものの全滅した。おもに、事業規模に比して知名度が高くわりと狭き門だったのと、僕自身のポンコツぶりも災いしたっぽい。(面接で博士課程に進学したいっていうのはリスキーらしい。退職候補にみえると言われた。アカポスにつきたい訳じゃないって言ったのに! というか、自分達で排出しているタイプの人物にたいして、高等学位をもっていることは有利になりませんって説明会で言うのいいのか? 多くの教員よりも長く大学運営にかかわるわけだし、任意の高等学位、とりわけ、教育にかかわっている分野の人間は研究職以外にもいたほうがいいとおもうのだけど)

そのあとは、マイナビリクナビ使っていた。既卒なのでわりとしんどかったがそ、れよりもなにもよりも、博士課程後期は無理ですって面と向かって言われることが多かったのが一番しんどい。ここらへんで、各種書類のうまい書き方がわかってきた。とはいえ、面接のうまいやりかたはわかんない。

働きながら進学したいなら、IT系と営業はとくに避けたほうがいい。すくなくとも、ぼくがみた企業は、面と向かってだめですって言われるか、ほかに取らなきゃいけない資格あれこれとか社外研修が多かった。ほかには、条件的によさげなのは不動産管理会社で、賃貸仲介とは異なっているので、時間や勤務日に融通のきく会社があり、自社不動産の管理もしていてある程度安定している(ただ、いまの御時世にそんな差別発言許されんのかみたいなとこもあった)。

後半のRe就活も使いはじめたあたりからは、内定も出たけど、スカウト通知の来る求人は、派遣会社も多く、正社員なんだけど基本的に派遣先の会社に労働条件が左右されると面接になってからわかるみたいな地雷も多いので注意が必要だった。

最終的には、自分の要望にあう企業を見つけられたのでよかった。気付きは、あんまり研究のはなししてもハネないのと、修了してからだと転職サイトでも求人に応募できる場合が多いこと。ぼくの場合は、UBIソフトフロム・ソフトウェアのゲームなはなしがめちゃハネた。

【追記】
・Linked.inにも登録してて、そちらはめちゃテキトーなんだけども、シンガポールとかで頑張ってから日本支部にもどるみたいな求人もちょいちょい来ていたので、語学できますとか、高等学位いちおーもってるとか、思い付くものを書いて、ビデオチャットで面接だの相談だのしてみてもいいのかもしれない
・さいしゅう的に決めた企業は博士課程後期の学費を負担してくれるそうなので、(まだ全額かどうかはわからないけど)世の中捨てたもんじゃないなー、と。あんまり、リクナビ等のサイト自体はマッチングに役に立たなくて、説明会で質問したり、電話をかけてみてやっと見つけたので、足を運ぶのは必要だった
・後日、内定先の会社のかたと会う機会があり参加したが、これでもかというほど自分のしたいことに好意的だったので、しょうじき面食らったし、こういうタイプの企業を見つけたら口コミで広めたいと思えた

クワインあれこれ

さいきんは、クワインを読むときに、かれよりも前の哲学者との関連をかなりつよく意識するようになっていて、そのせいかも知れないけれども、the tribunal of sense experienceって、カントのthe tribunal of reasonを意識して使ってるのかどうかがすごい気になっている。クワインは、カントをケンプ=スミス訳で読んだ(か、ドイツ語を読めるから、原著で読んだ)かもしれないので、訳語として被ってるし、なんかありそうな気がするんだよなー
(英語があまりできないので、一般的に使うタイプのたとえなのかよくわからないし、ちょっとわかんないけど、内容的に対比して論じるのはけっこうおもしろそう)

もう若手だもんね

おこちゃま左翼として名高い(どこで?)わたしも、ついに若手研究者である。若手研究者フォーラムに参加してるくらいだから。というか、フォーラム自体には去年から参加しているので、すでにと言ってみたほうがいいかもしれない。去年よりも進歩したと言えるかもしれないところがあるとすれば、発表についてある程度有意義な質問ができて(一定度、議論をかき回すようなこともした気がするが)、立ち話をしているときにも、はなし相手の理解を向上させるような発話が、すくなくとも、わたしの主観的には成立していたという点をあげられるかもしれない。相変わらず、懇親会などには参加していないので、若手研究者との交流を深められたと言えるかどうかについては、留保が必要かもしれない。人間が大勢いると、棒が並んでる感じがしてあんまりコミュニケーションする気を起こせなくなるので、ここらへんを改善したほうがいい。たぶん、割りきってはなしにいく必要がある。クワインとか、ブランダムなどの発表で、自分の中の理解度ははるかに鮮明になっているから、人間的な質問がまだできていたとおもうけれども、ほかの発表については、あとから思うともうすこしことばの選びようのあるかんじだった。いっしょうパーヘクトにはならんので、気にしないほうがいいかもしれない。なんらかの議論で黙っているのは死体と一緒という脅迫から抜けるか、じぶんを頭脳を明晰判明にする方向で調整したい。
なーんて、帰りの電車でなんとなく来年を考えているが、生きてる保証はない。